- Buda(ブダ地区)
- Budai Váralagút(ブダ城トンネル)
- Bizalmam az ősi erényben(ブダ城城壁のモザイク)
- Vízhordó-lépcső(給水階段)
- Budavári Palota(ブダ城)
- Habsburg-kapu(パブスブルク門)
- Halászbástya(漁夫の砦)
- Budavári Nagyboldogasszony-templom(聖母マリア被昇天教会:マーチャーシュ教会)
- Frigyes Schulek(フリジェシュ・シュレク):建築家
今回の記事はブダペストのメインの観光地での記事なのでかなり写真が多めです。
📍Buda(ブダ地区)
ブダペストはドナウ川より西側をブダ地区、東側をペスト地区と呼び、ブダ地区はブダペストの旧市街で、城と丘の街と呼ばれるほど丘陵地帯に歴史的建造物が集中しています。

旧市街のマップが街中にありました。見にくいですが、、右側にブダ城、画面中央に漁夫の砦と教会があります。今回はブダ城から漁夫の砦に向かって散策した記事です。
📍Budai Váralagút(ブダ城トンネル) https://maps.app.goo.gl/RGNX7B9hKrvq3m676

ブダ地区にたどり着いてまず最初に見えた大きな門、こちらは丘陵を貫いたトンネルです。1856年に開通し、車や馬車が通っていたそうです。第二次世界大戦で西側入り口は破壊されましたが1949年に再建、1973年に大規模改修されました。
📍Bizalmam az ősi erényben(ブダ城城壁のモザイク) https://maps.app.goo.gl/GdmJsR3ZPtQsPyGb9

これはブダ城トンネルのすぐそばにあった壁画です。3m×3mほどありかなり存在感がありました。「Bizalmam az ősi erényben(ビザルマム・アズ・オーシ・エレーニン)」とは「古なる徳への信頼」という意味で、ハンガリー王・フランツ・ヨーゼフ1世 のモットーだそうです。デザインはLotz Károly(ローツ・カーロイ)によるもので1880年に完成しました。王冠を支える 2人の天使 、その間にハンガリー国章と歴史的地域の紋章、そして中央にはハプスブルク=ロートリンゲン家 (オーストリア=ハンガリー帝国)の紋章が描かれています。
📍Vízhordó-lépcső(給水階段) https://maps.app.goo.gl/9TtqRCJLckeoY8Ji6

道沿いに歩き、ブダ城へと向かいます。城は丘の上に建立しているので、こちらの階段を登ります。こちらは給水階段と言って、城壁部分に通じる階段の一つです。中世~近世において、城壁下の “Water Town(ウォータータウン)、 Fishtown”(フィッシュタウン) と呼ばれた地域には 漁師や水を扱う人々 が住んでおり、彼らがドナウ川から水を取り城に運ぶ役割を担っていたという記録があり、この通路(階段)は、そうした “水を運ぶ人々” のための通路として使われていた階段だったことから給水階段と呼ばれているそうです。この階段が結構急勾配で、かなりいい運動になりました。

高台から見下ろすペスト地区です。
📍Budavári Palota(ブダ城)

ブダ城のという一つの建物に見える城は王宮を中心に、ハンガリー国立美術館、ブダペスト歴史博物館、セーチェーニ図書館この4つの建物が合わさった建物を指します。写真はハンガリー国立美術館です。
1241年のモンゴル進攻で国土が焼かれ、王が防御力の高い城を求め建て始めたのが起源で、その後14~15世紀にかけて大拡張。1541~1686年頃オスマン帝国の占領により宮殿は破壊され、多くの建物も失われました。18~19世紀に巨大なバロック宮殿として復活し、現在の見た目は19世紀後半から20世紀前半の形をベースにしているそうです。その後の第二次世界大戦の戦闘で再び大きく損傷しますが戦後に再建され、博物館施設として生まれ変わります。約800年の年月の中で破壊と再建が繰り返されています。
📍Habsburg-kapu(パブスブルク門) https://maps.app.goo.gl/eRELPFPpGACXXXXe7

こちらはブダ城地区の城壁入口のひとつで、1900年頃に建設され、こちらもまた第二次世界大戦で損傷、1980年代に一度復元、2021年にさらに大規模な修復が行われました。写真の右端にいる大きな鳥はTurul(ツルル)という伝説の鳥の像が置かれています。この鳥はハンガリーの伝説上の鳥で守護・民族の象徴とされています。
📍Halászbástya(漁夫の砦)https://maps.app.goo.gl/HpaEkHPVz3XZXMnA9

ブダ城地区のこの漁夫の砦はブダペストで最も人気のある観光名所の一つで、白く美しい塔と回廊が特徴的な 展望テラス兼記念建築物 です。「砦」とありますが、本物の軍事施設ではなく、19〜20世紀に観光用に作られた装飾的建造物 です。1895~1902年のブダペスト建都1000年を記念して建てられました。建築家はFrigyes Schulek(フリジェシュ・シュレク)で、彼は隣のマーチャーシュ教会を大規模改修した建築家で、教会と調和するようにこの砦を設計しました。

教会と砦の全体像があったので撮ってみました。大きすぎる建築物はこのようなものがあると分かりやすくて助かります(?)。砦の建築はネオロマネスク様式で、白い石造りの塔、アーチ、回廊と階段が特徴的です。中世の頃、この場所の城壁区画は漁師が守っていたとされる伝承から漁夫の砦と呼ばれているそうです。砦の写真は夜景の物が多いのでまた後程。
📍Budavári Nagyboldogasszony-templom(聖母マリア被昇天教会:マーチャーシュ教会) https://maps.app.goo.gl/JcyEYFn7re11WYbW8

1250年頃にベラ4世王の命で建設が開始し、ブダ城地区の中心教会として機能し始めます。15世紀にマーチャーシュ王が大規模改修したことにより「マーチャーシュ教会」という呼び名がつき、現在もこれが通称として知られているようです。その後の1541~1686年のオスマン帝国支配時代にモスクに改修されてしまいました。しかしハンガリーが奪還後にバロック様式で再建。19世紀後半、建築家 Frigyes Schulek(シュレク) が ゴシック復元+ネオロマネスク を融合させ、今の姿に近い独特な美しさが完成しました。第二次世界大戦で被害を受けますが修復され現在に至ります。建築の歴史としてはブダ城と同じような感じです。
正直なところ漁夫の砦がメインだったので、軽い気持ちで教会に入ってみることにしました。窓口もありましたがオンラインで簡単にチケット購入しました。

え、、、?今までに見たことのない内装に入った瞬間にプチパニック(ちょっと盛りましたが)、完全にノーマークだった教会の内部にまさかこんなに驚かされるとは、、!全体的に色と模様が施されていて圧巻!感動したので無我夢中で撮った写真が続きます。

カラフルで細密な装飾が壁、柱、天井にびっしりで、どこを見ても隙間がないくらいに模様が埋め尽くされていました。天井は明るめのエメラルドグリーン、そして金色を多用した神秘的な花柄、幾何学模様たちがそこら中に描かれています。

教会と言えばのステンドグラス。それよりも壁と天井の装飾に目を奪われていましたが、小さな丸窓のステンドグラスを発見です。キリスト教では信徒、神の民、無垢な魂を表す羊が小さく描かれています。窓を取り囲む螺旋状の様なフレームが自然と羊へと目を引き付けていました。

どこを映しても余白がなく、豪華なのに統一感もあり、かなり見ごたえのある教会です。ここでこの教会と漁夫の砦の建築を手がけたFrigyes Schulek(フリジェシュ・シュレク)について少しだけ。

1841年、ブダペスト近郊の生まれ。建築を学んだ後、ヨーロッパ各地の教会や歴史建造物を研究し、ブダペスト中心部で数多くの復興・改修プロジェクトを担当。建築様式はネオゴシック、ネオロマネスク、歴史主義建築。ハンガリー建国千年祭(1896年)に向けた歴史的建築の整備に深く関わりました。
ブダペストのこの素晴らしい象徴的建築を手掛けた巨匠に尊敬と感謝の意を勝手に込めておきます。

そしてこの教会は二階のフロアにも行くことができます。二階に行くための階段と空間でさえも美しい。

その階段の近くに大きなステンドグラスと、その前に佇む女性の像。こちらはエリザベート皇后でハプスブルク帝国皇后、ハンガリー王妃です。1867年にハンガリーがオーストリア=ハンガリー二重帝国となった際エリザベート皇后は ハンガリー女王として戴冠ました。その戴冠式がこのマーチャーシュ教会で行われたそうです。これにより教会は「王族の戴冠式の教会」としての象徴的地位を確立しました。エリザベート皇后はハンガリー文化や国民を尊重し、王室の政治的儀礼に加えて、国民との接触を重視したそうです。また美貌と自由奔放で型にはまらない生活ぶりが庶民から親近感を呼び、Sisi(シシィ)の愛称で多くの国民から愛されました。しかし彼女はスイスのジュネーブの湖畔を散歩中に暗殺されてしまいます。悲しい最期ですが国民に愛され、現代でも人気の衰えない理想の女性像です。

二階のバルコニーから見た内部の様子です。この時時間帯は14時くらいで外はとっても明るいのですが、黄金の装飾とライトアップが黄昏時のような雰囲気を醸し出しています。

教会内部には様々な展示がありました。レプリカの聖イシュトヴァーンの聖冠と、王笏と宝珠です。ハンガリー王国の正統な王だけがかぶることを許された 国家の最高象徴で、「王権(国家)」を象徴する神聖なる存在とされていました。十字架が若干斜めに曲がっているのが特徴です。戴冠式などの歴史的儀式や国王、王妃との結びつきを象徴する展示物です。

個人的に王冠の装飾のイラストがかわいいなと思ってしまいました(笑) 本物の聖王冠はブダペスト国会議事堂で保管されています。

これはレリクアリーと言って聖遺物を収める小型の聖具で、教会や修道院に必ずある宗教宝物です。形は様々で小箱や十字架の形をしたものもあります。これはフィリグリーというシルバーで出来た金線細工です。とっても細かいレースの様な銀細工が私好みだったので載せておきます。

マーチャーシュ教会の屋根に使われているタイルのサンプルの展示もありました。この素材はZsolnay(ジョルナイ)タイルと言って、ハンガリーの名窯「ジョルナイ陶器工房」が製造したものです。エオシンと呼ばれる虹色の釉薬を使用し、高耐久性、アールヌーヴォー期にハンガリーで大流行し、ブダペストでは多くの建物がこのタイル屋根を使用しています。先ほど紹介した建築家のフリジェシュ・シュレクがハンガリー民族色の強いデザインを目指し、このタイルを教会の屋根に採用したそうです。

まだまだ教会内部の写真はたくさんありますが、きりがないのでこの辺にしておきます。教会の後はブダ城地区を少しだけ散策しました。細い石畳の路地や14~19世紀の建物などがそのまま残っており、とても静かな雰囲気でした。

夜の様子です。絢爛さを秘めた教会。

少し下からみた漁夫の砦の様子です。白い石造りの塔たちを強調させてくれるライトアップが中世のファンタジー感を演出しています。この砦には7つの塔があり、ハンガリー人の祖先「七つの部族(マジャル七部族)」を象徴していて1塔ごとに意味があるそうです。【Megyer(メジェル)、Tarján(タルヤーン)、Jenő(イェノー)、Kér(ケール)、Keszi(ケスィ)、Kürt-Gyarmat(キュルト=ジャルマト)、Nyék(ニェーク)】これらはハンガリー人の祖先をなす七つの遊牧部族とされていて、ハンガリー建国神話・アイデンティティの中心となる存在です。Megyer(メジェル)部族の名前が後に「Magyar(ハンガリー人)」の語源になったと言われています。

この手前の像に関する情報がきちんと見当たらなかったのですが、おそらくこれは「漁夫」を象徴したものだと思われます。いや、漁夫ではないかもしれませんがそう信じたいです。ブダペストで大人気の砦は日中も夜もすごく観光客がいました。

砦から見たブダペストの夜景はとっても綺麗ですた。ということで写真多め、情報も多め?になってしまいましたがブダ城地区の魅力を詰め込んでみた記事でした。