- ハトシェプスト女王葬祭殿
- ハトシェプスト女王
- 髭のついたハトシェプスト像
- ミルラの切り株
- 女王誕生のレリーフ
- プント交易のレリーフ
- トトメス3世との関係と削られたハトシェプストの壁画
- 至聖所
📍ハトシェプスト女王葬祭殿 https://maps.app.goo.gl/mwJBkB2cQGXvejLGA

王家の谷を堪能した後はハトシェプスト女王葬祭殿にやってきました。こちらは王家の谷の裏側に位置しています。墓ではなく、女王を神として生かし続けるための巨大な神殿と言った扱いの建物になります。ちなみに彼女のミイラは王家の谷から見つかっています。
この葬祭殿は北の僧院:ジュセル=ジュセルウ(最も神聖・崇高なもの)とも呼ばれています。古代エジプトにしては3階建てのモダンでとても珍しいテラス式建築で、かなりぼろぼろだったのを約100年かけてポーランド隊が修復したとされています。
葬祭殿がなぜこの場所に位置するのかというのはいくつかの説があり、①自らの命で作った王家の谷の裏とナイル川の間に葬祭殿を建設することで、死者(谷)と生きる者(ナイル川)を繋ぐ中継地点とした説、②歴代王が葬られた王家の谷と自分を結び付けることで女性ファラオとしての正統性を強調したという説、③ハトシェプストよりも約500年前の中央国時代の開祖であるメンチュヘテプ2世の葬祭殿跡が隣にあることからそれに倣って葬祭殿を建てたのではないかという説があります。
入場料:EGP440
団体ツアーの人たちはチケット売り場から葬祭殿への道のり徒歩約5分程のバギー(乗り物)代EGP20も取られて乗せられているようでしたが、余裕で歩けるので正直全く必要ありませんでした。
📍ハトシェプスト女王
ハトシェプストは在位BC1479-1458年頃の新王国時代(第18王朝)の女王です。王家の谷の一番最初の墓であるトトメス1世の娘であり、王家の谷を作らせた人物です。
ハトシェプストというのは貴婦人のうちの第一の人という意味だそうです。

エジプトで最初の女性ファラオはセベクネフェルという中央国時代末期(第12王朝)の人物でしたが彼女は在位はBC1806-1802年という約4年でいなくなってしまい、本当の女王としてエジプトに君臨し、新王国時代の文化の基礎を作り上げたのはハトシェプストだと言われています。
主に彼女が行った有名なことはプント交易(紅海方面への国家遠征)、カルナック神殿の拡張(巨大オベリスクの建設)、官僚制度の活用(有能な官僚を起用し、血縁より能力を重視した)、これらにより大規模征服戦争などは行わず、国境の安定を維持し新王国初期の国力回復に力を注ぎました。
彼女はトトメス2世の妻(王妃)で、元々彼女は女王になる予定ではありませんでした。しかしトトメス2世の死後、二人の間には息子がいなかったためトトメス2世とその側室との間にできた男の子(トトメス3世)に王位を授けた際に彼がまだ小さな子供だったため彼女が摂政として王の権力を握り、その後自らをファラオだと宣言しました。ハトシェプストとトトメス3世はその後エジプトで初めての共同統治を行います。

葬祭殿にあるハトシェプストの像です。よく見てみると髭が付いています。男装のファラオとも言われますが、男装というよりかは王権を可視化するための宗教的・政治的な制服の様なイメージです。「女性である王」ではなく「王そのもの」を表現しています。顔にわずかに赤く残っている顔料は古代のままです。
先にハトシェプストの概要のために、第3テラスにある髭のついた像を紹介しましたが、順番に下のテラスから紹介していきます。

葬祭殿は下から第1、第2、第3テラスに分かれています。赤枠のところはこの葬祭殿でのメインの見どころのレリーフの場所を示しています。
📍ミルラの切り株

葬祭殿に向かう途中にはアフリカやアラビア半島原産の低木の切り株が残っています。この木の幹や枝から樹脂が染み出し、それが固まるとミルラ(没薬:もつやく)というものになります。甘くてスモーキーでスパイシーな香りがするそうです。神殿で焚かれる香や、防腐のためにミイラ作りにも用いられていました。この切り株はポツンと、特にしっかりした説明書きも無かったので多くの人にスルーされていましたが、、古代エジプトにおける重要な植物だったので、その当時の切り株が現存しているのでもう少し注目されてほしいものです。
また第1テラス(スフィンクス付近)には彼女がプント交易で手に入れたエジプトのものではない植物たちで生い茂てっていたのではないかとされる庭園跡があります。現在は特にその面影もなくまっさらな砂になっていますが、たくさんの緑で葬祭殿の入り口を飾っていたのではないかとされています。
📍女王誕生のレリーフ

第2テラス向かって右側の壁画にはなぜ女性なのに男性ファラオになったのかをハトシェプストの誕生にまでさかのぼったストーリーが描かれています。壁画はかなりボロボロで写真でもあまりよく見えないので掲示板での紹介です。
誕生する話なのでハトシェプストの母親が彼女を身籠るところから始まります(レリーフとして残されているものに番号を付けています)。
①(イアフメスとアメン・ラーが出会う):エジプトで最も美しかったハトシェプストの母(イアフメス)は太陽神であるアメン・ラーに見初められ、
②(アメン・ラーとイアフメスが手を繋いでいる):アメン・ラーはイアフメスの夫のトトメス2世に姿を変え、子どもを作ります。
③(クヌム神がアメン・ラーから命じられ男性を作り、へケト神がそれに命を吹き込んでいる:画像上部の壁画):羊頭の神であるクヌム神はろくろから人間を作るのですが、このとき男性を作っていることからハトシェプストの魂と生命力は男であると示しています。
④(クヌム神、イアフメス、へケト神が並んでいる:画像下部の壁画):お腹の膨れたイアフメスがクヌム神と多産の神であるへケト神から祝福を受けている場面です。
ざっくりとハトシェプストの誕生にまつわるレリーフです。これらのことからハトシェプストは自身が太陽神の娘かつ、男性の魂を持った者で、自身は正統なファラオだということを示しています。
📍プント交易のレリーフ
ハトシェプストの功績として最も有名なものはプント交易遠征です。プントとは現在の東アフリカのエリトリア~エチオピア沿岸、またはソマリア北部ではないかと言われています。侵略や征服で無く交易を行った様子がレリーフとして残されています。


プントの高床式住居、エジプトには生えていないヤシの木、ナイル川には生息しないイカやエビなどの特徴的な魚たちを描き紅海を表しています。これらの壁画はレプリカだそうです。


写真の左上の方の黄色っぽくなっている板のところにプント首長・女首長が描かれています。特徴的なのはその女性首長がかなり大きな体をしていることです。これは象皮病だったのか、肥満だったのかは未だに不明です。そしてその下にはエジプトの使者が貢物である金の輪のようなものや穀物を運んでいるシーンが描かれています。代わりにエジプトは珍しい動植物、象牙、黒檀などを持ち帰っています。

またこちらもかなり見えにくいのですが、プント交易の船での様子です。船は約20m程で、30名くらいを乗せてオールで漕いでいたのではないかとされています。当時の造船技術にびっくりです。

こちらはミルラを神に捧げる前に計量を行っている様子です。先ほど紹介したようにミルラは神殿儀式やミイラ作りに不可欠であり、それを大量にもたらしたことを描くことでハトシェプストは自身は神々に選ばれた統治者であることを示しています。抽象的になりがちな古代経済を具体的に示す数少ないレリーフだそうです。
このようにプントとの平和的な交易の成果を葬祭殿に刻み、征服ではなく繁栄を王の功績として示しています。
📍トトメス3世と削られたハトシェプストの壁画

葬祭殿は壁画も含め全体的にボロボロでした。というのもハトシェプスト女王というのは歴史から消された女王であり、トトメス3世により彼女のレリーフが削られ、葬祭殿も壊されたのではないかとされているからです。写真の左側の壁がボコボコになっているものはハトシェプストが描かれ、そして削られたものです。それに比べ右上のトトメス3世は色も現存しています。
トトメス3世
彼はトトメス2世とその側室との子で、ハトシェプストの義理の息子にあたります。在位はBC1479-1425年頃(第18王朝)で、幼少の頃はハトシェプストと共同統治(約20年間)、その後は単独統治を行っています。
単独統治時代、彼は古代エジプト最盛期を築いた最大の征服王で、古代エジプトのナポレオンとも呼ばれています。

彼は約17回以上レヴァント(現在のシリア・パレスチナ)へ連続遠征し、メギドの戦いでは敵が待ち構えるルートを避け山道を強行突破したことによる勝利、そして属州に総督を配置し、現地の王子を人質として連れて帰り、エジプト教育を施し洗脳して国に返すという斬新なやり方でエジプトに対する反感を徐々に減らすといった、まさに征服と帝国建設の天才だったと言われています。
トトメス3世によってハトシェプストの壁画は削られたのかというところに関してですが、最初はハトシェプストが女性であるにも関わらずファラオとして即位したことを恨んだ怨恨説がありました。
しかし近年の調査ではハトシェプストの記念碑は、トトメス3世の治世の後半、彼女の死後少なくとも25年が経過するまで損傷を受けなかったことや、彼の遺体安置所はハトシェプストのすぐ隣に建てられており、トトメス3世が彼女に恨みを抱いていなかったのではないかとされています。そして時期的に見るとハトシェプストの壁画が削られたのはトトメス3世の晩年に行われていることから、彼の息子のアメンへテプ2世の即位にあたり男性の王位継承権の正当性を示し、女性がファラオになったことを隠蔽したかった、女性のファラオの慣例化を防ぐために行われたのではいかとされています。

葬祭殿もとにかく観光客だらけです。歩いているとここにも勝手に壁画の説明、写真を撮ってあげる、立ち入り禁止の場所に案内してあげるとチップを要求してくる人たちがいます。本当にどこにでもいるので慣れてきました。

第3テラスを真っすぐ進んでいくと、至聖所にたどり着きます。この空間は神殿で最も神聖な場所で、王と高位神官のみが入れたとされています。アメン神の聖なる船を安置し、年に一度、カルナック神殿から来た神像がここに到着します。ハトシェプストが神と直接結ばれる場所であり、この建物が神殿であることを決定づける空間です。日本で言う神社の御神体がの場所のようなイメージでしょうか。現存しているものはプトレマイオス朝時代に再建されたものだそうです。ここには冬至のときに太陽光が入るようになっています。
個人的にハトシェプスト女王は中でも推しファラオです。自分が女だからというのもありますが、現代に比べて超圧倒的男性社会の中でファラオとして君臨し、平和のための交易や、身分ではなく能力で人を起用するという当時では革新的な雇用制度の活用を行うなんて、まさに知性と強さを兼ね備えた理想の女性像です。記録を抹消されかけた事実でさえ、歴史から消されてしまうほど歴史を残したんだとも捉えています。ということで今回はハトシェプスト女王葬祭殿についてでした。