- カルナック・アメン神殿
- スフィンクス参道(塔門)
- ラムセス3世の神殿
- 第2塔門
- 大列柱室
- ハトシェプスト女王のオベリスク
- ハトシェプスト女王の礼拝所
- (神殿の始まりの場所)
- トトメス3世の祝祭殿
- 聖なる池
- ハトシェプスト女王のオベリスク先端部
- スカラベ像
お昼ごはんを終え、次はカルナック神殿へとやって来ました。こちらは約2000年以上にわたって増築を繰り返されたため、エジプトでは最大の神殿となっています。大きな神殿が一つあるというのではなく、アメン神域・ムト神域・モンチュ神域といった神殿複の複合体を指します。

メインは赤枠で囲んだアメン神域です。神殿の中央部から広がっていくように増築されているので、外側は新しく、中心に行けば行くほど古い建物になっていきます。ほとんどの観光客は写真の下から上に向かって進んでいく形です。
📍カルナック神殿(メモ)
建設開始:BC2055-1650年頃(中央国時代)のセンウセルト1世の統治中(BC1965-1920年頃)には始まったとされている。主な拡張期はBC1600-1100年頃の新王国時代であり、最終段階はBC400-100年頃のプトレマイオス朝時代という約1500-2000年間とされている。
奉られている神:テーベの三柱神であるアメン・ラー(太陽神)、ムト(アメンの母、妻、娘)、コンス(息子)。オペト祭という宗教行事ではこの三柱神を聖船に乗せてカルナック神殿からルクソール神殿へと運んでいた。

増築理由:テーベ(現在のルクソール)の地方神だったアメンが、テーベが首都になると国家最高神アメン=ラーに昇格し、信仰の拡大に伴い神殿も拡張が必要になった。そして王は神に選ばれた存在であることを示すために神殿の増築を行うことでファラオの正統性のアピールを行うために増築されていった。

面積:約100ヘクタール(東京ディズニーランド約2個分)。
とりあえずエジプトの首都としてかなり偉くなったアメン神を奉るために歴代の王が時間をかけて造った大きな神殿ということです。

入場料はEGP500、ムト神殿への入場は追加でEGP200かかりますが、我々はアメン神域のみ行くことにしました(どこに行っても外国人価格は現地人の10倍程です)。
📍スフィンクス参道・第1塔門

神殿の入り口に行くにはこのスフィンクス参道を通っていきます。ここは元々船着き場で運河でナイル川とつながっていたそうです。奥に見える門は塔門と呼ばれ、門を作るための傾斜路があり、門や柱が未完成だということが分かっています。 この部分は一番最後に作られた場所になります。

羊の顔をしているのは、アメン・ラー最高神の聖獣が雄羊であるためです。人面ではなく羊頭にすることで神そのものを強調し、神殿に近づくにつれて俗界から神域へと切り替わることを暗示しています。手の間にはファラオが守られています。
📍ラムセス3世の神殿
スフィンクス参道を過ぎて右に行くと、小さな神殿があります。これは第20王朝・ラムセス3世治世(BC1186-1155年頃)の紀元前12世紀前半に建てられたとされていて、正式には「アメン=ラー、ムト、コンスのための神殿」(=テーベ三神信仰)とされています。神殿の中庭の左右に各8体のオシリスをかたどるラムセス3世立像が並んでいて、その奥に多柱室やテーベ三柱神の聖舟祠堂が備えられていています。


ここに来て壁画はよく見ると、周りを削り浮いているように彫られているものと、文字や絵を削り取ったような彫り方の違いがあることに気づきました。浮き上がって見えるものは陽刻(高浮彫り)、深く刻まれた彫り方は陰刻(沈み浮彫り)と呼ばれる彫り方だそうです。

羊頭の神に供物を捧げている様子。

ハヤブサに囲まれたカルトゥーシュ(王の名前)。
人物や文字の輪郭の外側を削る陽刻は、図像が壁から浮き上がって見え、光が当たると陰影が強く出るようになっており、神殿の外壁や中庭など太陽光が当たる場所に向いています。主に王や神の姿を強く・威厳あるものとして見せるために使われました。
対して輪郭線そのものを内側に彫り込む陰刻は表面はフラットになるため影は控えめですが、輪郭がはっきりすることで強い日差しの中でも輪郭が消えにくいため、風化にも強く効率的です。実用性と永続性があるため、王名・神名を守る意識があるそうです。見せたいものと、残したいもので彫り方を変えているとはびっくりしました。何千年先まで残ることを前提に、表現方法を変えていたのかと思うと、古代エジプト人の建築と信仰に対する本気度に圧倒されます。
ラムセス3世の神殿の紹介というよりかは古代エジプトの技術的な紹介になってしまいました。

神殿を過ぎると辺り一面にはおそらく調査中の瓦礫が広がっている景色でした。
📍第2塔門

スフィンクス参道を過ぎると中庭と第2塔門が見えてきます。新王国時代はこちらが入り口となっていましたが、拡張工事の結果、第2塔門となりました。第18王朝のホルエムヘブ(BC1323-1295年頃)の治世に着工され、第19王朝のセティ2世(BC1200-1194年頃)の治世に完成したそうです。
左右には礼拝堂があります。塔門に描かれている、テーベの三柱神に捧げものをする王のレリーフはプトレマイオス時代に追加されたものとされています。
📍大列柱室

カルナック神殿最大の見どころの大列柱室です。幅102m、奥行き53mという領域に、16列に配置された134本の巨大な円柱が並んでいます。

第18王朝のアメンホテプ3世(BC1390-1352年頃)に着工、第19王朝のセティ1世(BC1291-1278年頃)によってメインどころの建築と装飾が始められ、その息子、ラムセス2世(BC1279 – 1212年頃)により完成したものとなっています。メインはセティ1世ですが、完成した頃にラムセス2世は柱のセティ1世の名前を自分の名前に書き換えているため、とあるエジプト考古学者の教授はYouTubeで彼のことを「書き換えの王」と言っていました。ラムセス2世は統治時代も約60年と長く、たくさんの建築物を残しているのですが、今回はちょっと父親の偉業を横取りした感が出てます。
大列柱室中央の12本の柱は開花式パピルス柱と言って、花が開いたような柱のデザインになっています。高さ約21m、直径3.6mとかなり大きいです。

パピルスというのは古代エジプトでは紙・筆記材として使われた水生植物で、先端が傘上に広がる穂を持ちます。高いと2~4mにまで育つそうです。茎を薄く切って重ねてパピルス紙を作り、神殿・宗教文書などに用いられました。paper の語源にもなったもので、お土産屋さんで大量に売られています。
残りの122本が閉花式パピルス柱という花が閉じているデザインです。高さは約12m、直径2mの開花式パピルスよりやや小さめな設計です。

本来この場所には屋根と明かり窓が設けられ、開花式パピルスにに光が当たるようになっていたそうです。また神殿は創世神話を具現化し、象徴しています。これらは古代エジプトでは世界の始まりは原初の海:ヌンから生まれ、その海の中からパピルスが生えてきた沼をイメージして作られているそうです。とにかくこの大列柱室はものすごく迫力がありました。人があまり映っていないので分かりにくいですが、とにかく柱が大きくて怖いくらいです。
📍ハトシェプスト女王のオベリスク

大列柱室から少し進んでいくと、遺跡の瓦礫に埋もれながら高く聳え立つオベリスクが見えてきます。これは第4塔門と第5塔門の間にあるハトシェプスト女王のオベリスクで、高さは約30m、重さは約300トンもある、一枚岩から削り出されて作られたものになっています。ハトシェプストのもう1基の折れたオベリスクの先端部分が、聖なる池の近くに置かれています(後程写真を載せています)。また現物は見ていないのですが、ハトシェプストはオベリスクを他に2基建立していましたが、トトメス3世祝祭殿の東の奥壁外部にあった一対のオベリスクは早くに破壊され、台座のみ残存しているそうです。

ちなみにこの第4、5塔門付近はトトメス1世により築かれたもので、神殿内でもかなり古いものになっているので観光客は瓦礫の中を歩いている感じになります。我々はこの神殿の至聖所には行ったのですが、なぜか写真がないので今回は割愛します(メインどころの割愛とは)。
📍ハトシェプスト女王の礼拝所

至聖所の北側にある小さなスペースで他が茶色の瓦礫の中、ここだけ黒色の門が構えてあったので気になって見てみたところ、ハトシェプスト女王の礼拝所だということが後々分かりました。門のカルトゥーシュはトトメス1世のものが施されています。

中は暗くてこちらもあまり写真が無く、、神々の壁画は綺麗に残っていますがハトシェプストの壁画が削られている跡が分かります。彼女の存在を歴史から消したかったならば、この礼拝所ごと壊してしまえば良かったのでは?と思いますが、カルナック神殿の始まった場所付近であり、あえて壊さずに残していることで女性はファラオにはなれないということを示しているのではないかとされています。
(削られたハトシェプスト女王の壁画やトトメス3世との関係性については別記事を参照してください)
礼拝所を過ぎるとカルナック神殿の起源とも呼ばれるところに到達するのですが、そこはもう床下以外何も残っていない、広場の様な状態になっていました。
📍トトメス3世の祝祭殿

神殿の始まりの場所を過ぎるとトトメス3世の祝祭殿があります。「Akh=Menu(アク=メヌ)」と言って「輝ける記念殿」、「記念の場」という意味だそうです。元々はトトメス3世の即位30年を祝うためのセド祭を執り行うために建造され、後に年に一度のオペト祭の一部として使われるようになりました。ハトシェプスト女王との共同統治が終り、単独統治が確立した紀元前15世紀頃に建築されたと言われています。

屋根や柱も現存しており、大きな家の様な感じでした。幅は約44m、奥行き約17mの多柱室で、6世紀頃にはコプト教会というエジプトで発展したキリスト教会の礼拝堂として利用された跡も残っています。

屋根裏にも柱にも色が結構残っていて綺麗です。写真には無いのですがキリスト教者コプトの聖人が柱に描かれているのを見ることができます。ファラオの神殿をキリスト教の礼拝堂として利用するのはありなんだ、、と思ってしまいました。

これは祝祭殿の壁の一部でトトメス3世の植物園のレリーフです。トトメス3世は世界中から寄進物を集めてエジプトを最大にした王であり、シリアやヌビアなどの遠征地の植物を精密に刻むことで王の威厳を示しているとされています。
📍聖なる池

神殿内を進んでいくと長さ約120m、幅約77mにも及ぶ大きな池が見えてきます。こちらは第18王朝のトトメス1世の頃が起源とされた説、アメンホテプ3世(BC1380-1353年頃)の頃に作られたという説、第25王朝時代(BC747-656年頃)に造成されたものだという説、調べたところ諸説あり、どれが真実なのかはよく分かりませんでした。原初の混沌の水の神ヌンを象徴として、神殿の儀式を行なう前に神官たちが自身を清めたり、オペト祭に使われる神像や聖船を清めるために池の水が使われていたそうです。池というよりかはとっても大きなプールの様な見た目でした。
📍ハトシェプスト女王のオベリスク先端部

聖なる池付近に先ほど紹介したハトシェプスト女王のオベリスクの先端部分だけがあります。以前までは倒れた状態で展示されていたそうですが現在は起こされて設置されています。
📍スカラベ像

このスカラベ像も聖なる池付近にあります。トトメス3世が作らせたとされていて、スカラベは太陽神の3つの形態「朝のケプリ、昼のラー、夕方のアトゥム」の中のケプリを表しています。この像の周りを7周すると願いが叶う、幸せになれるといわれていて、何人かの観光客はこの像の周りを楽しそうに周回していました(笑)

長くなりましたがまだまだ書き足りないエジプト最大のカルナック神殿についてでした。とにかく広くて見どころが多すぎました。後から見返すと見逃したなあと思う場所もたくさんあり、やはり2000年の歴史を堪能するにはもっと時間と知識が必要だったと感じます。たくさんのファラオが年月をかけて増築、守ってきた神殿と神々たちの偉大さを肌で感じた場所でした。