ルクソール最後の観光場所はルクソール神殿です。宿の目の前に神殿があるので、休憩の後に歩いてい向かいました。ちなみに外を出て2,3分もしないうちに、馬車やタクシーの勧誘です。馬車を「フェラーリ」タクシーを「ランボルギーニ」と彼らは呼んでいます。
夜の6時頃に行ったのですが大大大混雑していて、チケットの購入の後の小さなセキュリティチェックでは誰も順番に並ぶなんてことはせず、割り込んだもん勝ちという感じのかなりカオスな感じでした。観光バスもあり、クローズの前にみんながなだれ込んだんだろうと思います。ということで大混雑カオスな夜の美しいルクソール神殿へ行ってまいりました。入場料:EGP500。
- ルクソール神殿
- スフィンクス参道
- 塔門とオベリスク
- 建築王ラムセス2世
- 中庭、レリーフ、モスク
- 列柱室
- ツタンカーメンとアンケセナーメン座像
- 至聖所の前室(ローマ時代のフレスコ画)
- 至聖所(アレキサンダー大王とアメンホテプ3世のレリーフ)
- アレキサンダー大王(アレクサンドロス3世)
📍ルクソール神殿 https://maps.app.goo.gl/hN35DrjzPj6dFU5m9

ルクソール神殿(簡単メモ)
建設時代:新王国時代(主に第18~19王朝BC1380~1212年頃)
建設にかかわった王:アメンホテプ3世、ツタンカーメン、ホルエムへブ、ラムセス2世
奉られている神:アメン=ラー
オペト祭について:カルナック神殿から聖船が到着し、ルクソール神殿で王の神性、王権が更新される

📍スフィンクス参道

ルクソール神殿とカルナック神殿は約2700mのスフィンクス参道で結ばれていて、オペト祭では三柱神の神輿を約2~4週間かけて運び、踊り子や楽器奏者で盛り上がっていた様子が壁画にも描かれています。

📍塔門

スフィンクス参道からも見えるこちらの塔門はとても保存状態がいいもので、ラムセス2世の1基のオベリスクと、彼の2体の座像、4体の立像があります。 一番左は復元されたものになっています。もともとオベリスクは2基あったのですが、向かって右側の物は1836年頃にムハンマド・アリがフランス政府に外交の証として寄贈し、現在はパリのコンコルド広場に設置されています。
フランス政府からは時計台をもらいサラ・エル・ディンのシタデルに設置されています。19世紀は古代の遺物を外交としてよく利用されていました。元々オベリスクは2基ともフランスに行く予定でしたが外交関係が悪くなったため、1基のみとなったそうです。オベリスクのお返しが時計台とは、全く等価交換では無さそうですが(笑)
📍中庭

塔門を過ぎると中庭です。古代エジプトで神殿は一般人は普通入れない場所なのですが、オペト祭の時にも、誰もが入れた場所だったそうです。柱がライトアップされていてとっても綺麗でした。
📍ラムセス2世

新王国時代19王朝(BC1279 – 1212年頃)のファラオで、古代エジプトの最盛期に君臨、様々な建築物を残した建築王として知られています。隣国ヒッタイトと世界初の平和条約(カルナック神殿の壁画にも残されている)を結び、かつての王の遺物の名前の書き替えを行っています(彼については後日アブシンベル神殿の記事にまた詳細を書いていきます)。

中庭向かって右側の壁にはラムセス2世の息子たち17人のレリーフがあります。彼は有名なネフェルタリ含む8人の王妃と多くの側室たちがいて、子どもたちはなんと100人を超えていたそうです。そしてラムセス2世は約66年の治世で当時のエジプトの平均寿命が40歳ほどだったのに対し90歳近くまで生きたとされており、息子の方が早く死んだと言われています。長く生きたからこそ多くの建築物を残すことができたんですね。彼の死後は13番目の息子であるメルエンプタハが跡を継ぎ、ファラオになりました。

中庭の一角には約640年に改装されたアブ・エル=ハッジャージのモスクが組み込まれていて、建設されたときは神殿は砂に埋もれていたので、モスクの入り口はすごく高いところに位置しています。このモスクは現役で今でも礼拝の時間になると放送(アザーン)が始まります。

神殿の中に異教徒が混ざり合っていることはすごく不思議に感ですが、それも含めてルクソール神殿としているところが何だか懐の深さというか、良さを感じました。
📍「ロイヤル・カァ」のラムセス2世座像

ここで再びラムセス2世についてです。中庭にも彼の座像があり、これは「ロイヤル・カァのラムセス2世」です。代々の王は神から特別な生命力:「ロイヤル(王家の)・カァ(生命力)」を授かると言われていました。王が死ぬとロイヤル・カァは神の元に戻り、そして新たな王へと授けられるという思想です。ラムセス2世は「これまでの王が作ったものはロイヤル・カァが作ったもの、すなわち、かつての自分が作ったものだ。だから名前の書き換えを行うのだ」。という主張があるそうです。おお(‘Д’)筋が通っているというかゴリ押し感満載です。彼自身は様々な王の建造物の名前を自分の名前に書き換えているわけですが、自分の名前は書き替えられたくなかったのか、オベリスクの底にも名前を刻んでいる事実を知ると、ちゃっかりしているなあと感じます。
📍列柱室

中庭を過ぎると列柱室になります。32本の未開式パピルス柱のある場所です。ここで伝えたかったのは人の多さ、混雑具合です。柱や壁画を見て歩くと人にぶつかってしまうので正直あまり周囲をじっくり見て回れませんでした。
📍ツタンカーメンとアンケセナーメン座像

列柱室を過ぎたところに男女の座像がありました。これは第18王朝ファラオのツタンカーメンと、その王妃アンケセナーメンです。今までの座像は王がとっても大きく、王妃は小さく足元にいるような像だったので、同じような大きさで二人が並んでるものは古代エジプトにおいては珍しさとモダンさ感じました。ツタンカーメンは19歳という若さで亡くなっているのですが父親のアメンホテプ4世が行った宗教改革(アテン一神教)を廃止し、アメン信仰の復興の証としてこのルクソール神殿に自身の像を作ったとされています。(ツタンカーメンの詳細に関しては別記事↓にも)。
ツタンカーメンの王墓からは様々な遺物が見つかっているのですが、中には彼の座っていた椅子が見つかっていて、そこにも王妃との絵が描かれているそうです。私がこの像を見て思ったことは、二人は仲が良くて、体の弱かったツタンカーメンを献身的に支えた妻への感謝も込めて同じ大きさの座像としてここに姿を残したのではないかと思っています。真意は不明ですが勝手にほっこりしました(私の想像と感想です)。
📍至聖所の前室

列柱室を進み、至聖所の前に行くと少し開けたスペースがあります。前室と言われる場所なのですがここにも見どころがありました。向かって左側の壁画をよく見ると、エジプトのヒエログリフではなく、その上から漆喰が塗られ、ローマ時代のフレスコ画(漆喰の壁に画かれた絵)を見ることができます。うっすらと4人のローマ人の顔があり、彼らはローマの指導者だったのではないかとされています。

こちらは至聖所の入り口付近で、こちらにもわずかですがフレスコ画が残っています。ローマはBC30-AD641年頃までエジプトを支配しており、ルクソール神殿のこの場所はローマ軍の駐屯地とされ、皇帝崇拝の場として使っていたそうです。
イスラム教のモスクに加えローマ時代の駐屯地と、なんとまあ盛りだくさんの神殿です。
📍至聖所

至聖所にはアメンホテプ3世のレリーフと、アレキサンドロス(アレキサンダー大王)のレリーフのどちらも見ることができます。二人の間には約1000年の差があるのですが、それらが一つの神殿に刻まれているとは、、ちなみに至聖所内も大混雑で正直壁画をじっくり堪能できる感じではありませんでした。アメンホテプ3世のレリーフはそこら中にあったのですが、アレキサンダー大王のレリーフを見つけることはできず、、(;ω;) というよりかは事前情報が少なすぎたため、あることすら知りませんでした(恥)

アメン神と、アレキサンダー大王が描かれているそうです。

ルクソール神殿に行かれる方にはぜひ見ていただきたいです。
ここで少しアレキサンダー大王についても調べてみました。
📍アレキサンダー大王(アレキサンドロス3世)

アレキサンダー大王はBC323年にマケドニア王国で生まれ、32年の生涯の中で様々な戦いを経てギリシャからインドまでを繋いだ伝説の征服王と言われています。
彼の生涯、戦いなどについて簡単にまとめてみました。

BC323年:マケドニア王国の都ペラにて誕生、アリストテレスを家庭教師として育つ。
BC338年(18歳):カイロネイアの戦い(初陣)父の軍で騎兵隊を指揮し、ギリシア諸都市を制圧。
BC336年(20歳):父フィリッポス2世が暗殺され、マケドニア王に即位。
BC334年(22歳):グラニコス川の戦い、ヘレスポントス海峡を渡り、アジア遠征開始。
BC333年(23歳):イッソスの戦い、ペルシア王ダレイオス3世を撃破。
BC332年(24歳):エジプト入城、アレクサンドリア建国、ファラオに即位。
BC331年(25歳):ガウガメラの戦い、ペルシア主力軍を決定的に破る。
BC327-326(30歳頃):ヒュダスペス川の戦い、インド方面へ進軍するも、兵士たちが疲弊し反乱。撤退。
BC323年(32歳):バビロンにて死去、病死か毒殺かは不明。遺体は彼の部下プトレマイオスによってアレキサンドリアに運ばれて埋葬されたとされるが、墓はまだ見つかっていない。
アレキサンダー大王について簡単に年表と地図化してみましたが、戦いすぎそして強すぎ、侵略しすぎ、激動すぎて、、というか古代エジプトであんなに王家の血統が重要視されてきたように見えたのですが、急に外部から来た人がファラオになれるんだ。と思ってしまいました。32歳という若さで死去してしまいましたが、彼がもう少し生きていたらまた国境が変わっていたんだろうなと思います。
ということで今回はルクソールのかっつめ観光の最後はルクソール神殿でした。長い歴史の中でエジプト、ローマ、イスラムの要素がある独特な神殿でした。意外と初めての夜の観光地でしたが、昼とはまた違ってかなり雰囲気のある荘厳な感じを味わえました。涼しくて気温は快適でしたが、人がとっても多かったですね!ということで観光を終え、次は夜ご飯です。