今は現場を離れていますが、医療従事者だったので長生きしている人、長生きさせられている人をたくさん見てきたつもりです。
現代の医療は凄まじく、治療によってかなり寿命を延ばせている気がします。
自分のことを自分でやって、運動などの趣味や、生きがいを持っているご高齢の方もいれば、自分のことも家族のことも認識できず、食事が採れないので点滴や経管栄養で補い、身の回りの世話は誰かがやって、本人は寝たきり。飲みたくない薬を飲み、人工呼吸器などの生命維持装置を使わないと生きながらえないような、家族のエゴのために生かされているような方々は病院にはたくさんいました。
そこに自分たちの給料が発生していることと同時に税金、労力、時間、知識、高価な薬が費やされていることに矛盾というか、これっていったい何なんだろうという思いがありました。
こんなことを言うと倫理に反するとか、非人道的だ、という意見で溢れるんだろうけれど、命には重さの違いと、優先順位があり、未来ある生産性のある者たちに必要なものを使うべきだと私は思っています。
新型コロナが流行した頃、医療崩壊が起こっている。とメディアでは報じられていましたが、こちらからしたらそれ以前から医療は崩壊していて、溢れる患者と、足りない労力は日本の高齢社会が始まった時からの課題だと思っています。以前「〇〇病院で患者が転倒、家族が訴訟」といったニュースを目にしましたが、どうしても医療者側になり、転倒を防ぐ努力はたくさんしたんだろうに、、と、辛すぎる気持ちでいっぱいになります。一方では、一人で歩いてはいけない認知症の方の拘束もしてほしくない。という意見も聞きます。限られたマンパワーの中でいったい何をすれば正解なのか、どうしたらいいのか。一つの転倒にどのような背景があるのか、一般の方にもぜひ考えていただきたいと思います。
話はそれましたが、自分の場合は色々なことが認識できなくなる前に、他人には最小限の迷惑だけかけて、眠るようにして去りたいです。
長生きという主題から、大きく「生きる」ということについて考えてみた結果、昔を思い出した医療従事者の愚痴になってしまいました。